New Work at Far Rockaway-Mott Ave Station by Jason Rohlf
Respite, 2011
Laminated glass
Today, we’re celebrating the Grand Opening of the newly renovated Mott Avenue station in the Rockaways with the unveiling of Jason Rohlf’s beautiful installation, Respite. Gorgeous glass panels in jewel-toned colors, designed from Rohlf’s original paintings, dramatically diffuse the light inside to create a richly saturated interior space. The work can be seen throughout the station as well as from outside, adding visual impact to the existing architecture. The artist’s design features birds perching on long branches, grouped within three distinct color themes – green for dawn, blue for midday and orange for dusk – and relates to the strong links between nature and light in this seaside community. The work was fabricated by Franz Mayer of Munich. Head to the Rockaways to see it for yourself!
Via Art Along the Way
たとえば、G+でもTwitterでも、訃報に接したとき、不幸なニュースに接したとき、そこには必ずそれを嘲笑する投稿が行われる。それはしばしば「w」や「笑」を伴い、書き込んだ本人とまったく無関係な他人の苦しみを、彼ら=私たちがエンターテイメントとして楽しめることをあきらかにしている。
ここで、さらに問わなければならない。われわれは、無関係な他人の苦しみを、楽しむことができる生き物なのか。
こたえは残念ながら是である。私たちは、身近なものにしか同情したり、共感したりすることができないのである。目の前に血を流して苦しんでいるものがいてはじめて、痛そうだな、かわいそうだな、なんとかしてあげたいな、という衝動を持つことが可能になるものなのである。
そうした真実のひとつが、ひとから想像力と距離をうばうネットによって、さらに醜く露呈している、というのが、2011年、私たちが生きるこの社会である。
遠くの誰かのことなど、現実のしがらみの中に捕らわれた私たち生活者にとって、余計な出来事である。
ひとの不幸を揶揄して、一時的にその場を盛り上げ、弱者を馬鹿にして楽しむことは、良質のエンターテイメントである。
しかし、その現実を、私たちは黙って耐えるべきか。
もはや耐えられないではないか。いつまで続くのか、この想像力の欠如した、弱者のことを顧みない、自分たちだけが正義で、それ以外のすべての人間が間違っているかのような、傲慢で、尊大で、腐敗しきった精神の蔓延を、私たちは許せるのか、許すべきなのか。
こうした光景に耐えられない、と思うひとびとは、すでに沈黙している。
自分たちが踏みにじっているもの、それを自覚する想像力なしに、私たちが人間らしさを取り戻せないことは自明である。
どうしたらよいか、と問うてはならない。なぜならこたえはないからだ。
こうしたひとびとをネットもろとも焼き尽くしたいと思うとき、私たちは自らの足元に火をつけているからである。
iPadの素晴らしさは、いつでもどこでもコンピュータなこと。地下鉄で。エレベータを待つ廊下で。空港に向かう車内で。空き時間は全部iPadのお時間に、なり得る。
iPhoneも似たり寄ったりだが、全く一緒ではない。誰が寝る前にiPhoneで映画観たいと思う?
さて、このどこが問題なのか? こう書いてくるとまるで自分は超プロダクティブな人間ではないか。1分でも空き時間があれば、何か作って、何か消化していたのだから。
ところが何かが — 睡眠時間もそれなりに大事だが、それだけじゃない何かが — 忙しさに紛れて消えているのだ。何か失ってはならない、とても大事なもの。それは…
退屈。
退屈は大事。本当は誰もが追求すべき心の状態だ。退屈になると心は行き場を失って、何かエキサイティングなもの、何か面白い着地点を求めて、ひとり歩きを始める。そしてそこからクリエイティビティが生まれる。
僕の場合、なぜか生産的なことロクにしてない時に一番良い考えが浮かんでくるのだ。走ってるんだけどiPod聴いてない時、座って、なんもせず、誰か待ってる時。ベッドに横になって眠りにつくまで、あれこれ心がさ迷う時。こうした「無駄にした」瞬間、特にこれと言って埋まってない時間が人生には、欠かせない。
こうした時間があるからこそ僕らは、往々にして無意識ではあるけれど、心を整理し、生きる意味を考え、点と点を繋ぐことができる。こうした時間があるからこそ、己に問いかけ、己の声に耳を傾けるのだ。
こうした時間を失くすこと、その時間を仕事やら生産効率やらで置き換えることは、間違ってる。もっと最悪なのが、失くすだけならまだしも僕らは自分から進んでこれを、放棄しているのである。
人間が変わる方法は3つしかない。1番目は、時間配分を変える。2番目は、住む場所を変える。3番目は、付き合う人を変える。この3つの要素でしか人間は変わらない。もっとも無意味なのは、『決意を新たにする』ことだ。
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